魔獣を倒した後の散歩もなかなか悪くない――
ほむらは朝日を浴びながらふと思った。相方はまだ仕事だし、家に戻っても誰もいない、だとすればたまにはこんな寄り道もいいだろう。誰もいない公園の並木道の中、一人ほむらはその美しい横顔に微かに笑みを浮かべ歩き始めた。
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いつの頃からか、暁美ほむらは変身するのをやめてしまっていた。正確には羽根を出現させたり、より悪魔に近い姿に変貌を遂げたりすることはあるが、悪魔として生まれ変わり、世界を改変させた頃の姿になることはほぼ皆無だ。その事について、もう長い間連れ添っている相方がくだらないことを言っていたのを悪魔は思い出す。
『もったいない、あんたのあの格好、結構――』
『結構何?』
蒼い髪の女性が口元を緩め何かをいいかけるが、黒髪の美女が美しくも険しい双眸を向けたため口をつぐんだ。互いに「この世界」で出会ってからもう10年も経つのだが、この蒼い髪の女性はあまり変わってないと悪魔は思う。成長しているが、面影は残っているし、なにより愚かなのだ。…だが今目の前でよくわからないジェスチャーをしている愚か者を全て受け入れたのも自分自身なのだと思うと、さすがに悪魔も溜飲が下がった。はあ、とため息ひとつついて、言葉を促す。
『怒らないから言いなさい、さやか』
まるで母親の様な言い方だ、と自嘲気味に思いながら、ほむらは辛抱強く待つ。えへへ、と中学生の頃と変わらないお間抜けな表情でさやかが口を開いた。
『エロいからもったいな――痛っ!』
いきなりブラシが飛んできて、蒼い髪の女性の頭に音を立てて直撃する。常人なら怪我をするところだが、さすがに回復魔法の持ち主である、頭を両手で軽く抑え、怨みがましくほむらを睨みつけるだけですんだ。
『もう、何すんのよ、怒らないって言ったじゃない!』
タンクトップから伸びた腕を頭に載せながら、さやかが鏡台の前で肩を震わせているほむらに抗議した。
『あら、怒ってないわ、ブラシを投げただけよ?』
鏡台に頬杖をつきながら、ほむらがニイ、と口元を歪め残忍な笑みを浮かべた。艶のある長い黒髪が、頬にかかる。その凄惨な笑みが却ってほむらのとてつもない美貌を引き立ててしまい、さやかは一瞬見惚れてしまった。
『もう、まったく…』
照れをごまかすため、さやかがやや乱暴にベッドの端から立ち上がった。もう正午に近いというのに、寝過したためショートパンツにタンクトップ姿だ。ほむらの方も白いキャミソール姿なのは同じ理由からだった。
『あら、どうしたの?』
やや不本意の様子でほむらが顔をあげた。まるで遊びたりないといわんばかりで。
『着替えるのよ、私今から仕事…きゃあ!』
さやかが変な悲鳴をあげながら、ベッドの真ん中まで吹き飛んだ。悪魔の仕業だ。驚くさやかの上に一瞬の内にほむらがふわりと圧し掛かっていた。
『ちょっと…何すんの』
『あら、昨日の続きに決まってるわ』
『ダメよ、今から仕事』
『私は時を止められるのよ?』
う、とさやかが口をつぐむ。さも愉快だと言わんばかりな表情のほむら。
『よくも私をいやらしい目で見てくれたわね』
『はあ?何言ってんの、あんたいつもいやら…』
むぐ、とさやかの口が悪魔の口でふさがれる。口が離れたのはそれから数秒後のことで。
しばらく見つめ合ってから、ほむらは「お仕置きよ」と囁いた。
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「変なこと思い出したわね」
陽光溢れる公園の並木を見ながら、ほむらはさも忌々しそうに呟いた。こういう時悪魔の脳裏に浮かんでいるのは、大抵蒼い髪の相方だ。息を吐き、悪魔は歩を進める。
まだ、夜が明けたばかりだからか、公園にはほむら以外誰もいなかった。もしいたならば、黒づくめの服装に身を包んだ美しい黒髪の女性を見て、人ならざる者を見たと思うのだろう。
ガア、ガア、と烏が鳴いた。
ふと、ほむらは自分一人が世界に残されている気持ちになった。もし、まどかが成長して、人としての幸せな生を終えた後、自分はどうなるのだろうと考える。不思議だった、10年前のあの頃はそんな事考えもしなかったのに。
『あんたとずっといるわ』
蒼い髪の女性の顔を思い出す。自然に口元が緩んだ。憎たらしい、生意気で愚かで、でも――
「ほむら」
気付けば、数メートル先に蒼い髪の女性が立っていた。急いで駆け付けたのだろう、息を切らしてこちらを見ている。仕事帰りのスーツ姿に、右手には剣。普通の人から見れば明らかに不審者だ。ほむらのアメジストの瞳が微かに潤んで。
「あら、銃刀法違反じゃないかしら?おまわりさん」
「まったく、心配したのよ…魔獣は?」
ほむらは肩をすくめる。その仕草で全てを理解したのだろう、さやかは「心配して損したわ」と言って微笑んだ。手品の様に剣が消えた。
「ついでに散歩してたのよ…一緒にいかが?」
「オフコース」
おどけた様子でさやかが手をほむらの前に差し出す。その手にほむらは細い指を絡めて載せた。10年前には想像もつかない仕草。
――散歩もたまにはいいものだ、とほむらは思った。
END