これは、二人がまだ社会人になりたてだった頃のお話
美樹さやかには大学時代数人友人ができた。友人とはいっても中学生の頃の特殊な体験で築かれていった仲間達とは違う、一般的な友人だ。だが、それでもさやかにとっては大事なものであった。さすがに特殊な人生を歩んでいたとはいえ、表面上人間として暮らしているからには、社会人になって時折ふと気になるのは仕方のないことだろう。そうしてつい、ストローから口を離して美樹さやかは向いに座っている悪魔に尋ねた。
「ねえ、ほむら、あんた大学時代の友達がどうしているかって気にならない?」
「?」
突拍子もなくいきなりさやかが切り出したため、黒髪の美女――暁美ほむらはハンバーガーを咥えながら顔をあげた。さやかはこの美しい悪魔が食事中だったことを思い出して、「あ、ごめん」と謝り、そして微笑んだ。
「何、今私おかしいことをしたかしら」
ほむらがハンバーガーから口を離し、さやかに尋ねる。
「ううん、違うわ、あんたも人間らしい仕草をするんだなあって」
「何それ」
ふん、と悪魔は肩をすくめて、細い両腕の先に持っているやや小ぶりなハンバーガーを再び口に運ぶ。美味しそうに咀嚼する姿がまるで子供のように見えてさやかはついつい口元を緩めてしまう。
――可愛いと言えたらいいんだけど
さやかが心で呟く、だがいきなり目の前の美女がむせたので、慌ててティッシュを差し出しているうちに忘れてしまっていた。
ここは、二人の住んでいるマンションに近い24時間営業のファーストフード店だ。明日が土曜日だからか、時計の針は深夜を回っているというのに大勢の客がいた。さやかとほむらは窓際のテーブル席を陣取っていたが、時折客がじろじろとこちらを見てくるので、さやかはついついきょろきょろとあたりを見回してしまう。偶然目と目が会うと気まずそうに、あるいは興味深げにのぞき込んできたりと様々で、さやかははあ、とため息をついた。
「どうしたの?」
「いや、相変わらずあんたの美貌に見惚れる人が多いわねって思ってさ」
「くだらないこと言うと殺すわよ・・・これ飲んでから」
「ひど!あんたが綺麗って言ってんのに」
「黙りなさい」
この手の話に悪魔は興味が無い、むしろ怒りを示すため、さやかもとうとう黙り込んだ。よろしいとでも言う様にほむらはうなずくと、ストローに口をつけた。中の飲料を吸い込み始める。桜色の柔らかそうな唇につい目がいってしまい、何を意識したのか、さやかは慌てて視線を逸らす。
――まったくもう、反則でしょ。
美少女だったほむらの成長具合は美樹さやかの予想を遥かに上回っていた。「恐ろしいくらい」美しくなったのだ。長い黒髪に白い肌は変わりはないが、成長と共に顔つきがすっきりとし、更に透明感を増していた。そして陰鬱な双眸の神秘的なアメジストの色が見ている者を惹きつける。さやかは気まずそうな様子で頬を掻いて、しばらくして顔をあげるとほむらがこちらを見ていることに気づく。どことなく悪魔の口元が緩んでいて。
「・・・な、何よ」
「それはこっちの台詞よ、どうしたらそんなに顔が赤くなるのかしら?」
悪魔は左手で頬杖をつきながら尋ねる。
「え、嘘、違うわよこれは・・・」
さやかは頬に手をあてた後、今度は慌てた様子で両の手のひらを胸元まであげる。そしてマジシャンがトリックをごまかすように手のひらをひらひらと振った。一連の動作があまりにも滑稽で、とうとうほむらは笑い出した。空になった紙コップをトレーに置き、それを脇に寄せるとほむらは少し身を乗り出して囁いた。
「貴方って本当に、単純で、すぐに顔に出るわよね」
「な」
「特にその目つき・・・」
「へ?」
ぱちん、とほむらは指を鳴らした。店内に静寂が訪れる。ほむらとさやか以外は誰も動かない。時間を停止したのだ。ほむらの右手がさやかの左手を包んでいる。ほむらがさやかを見つめた後、その視線を右に逸らす、つられてさやかも視線を移すとそこには見知らぬ男性客がいて、こちらを(正確にはほむらを)見つめていた。
「もう慣れたわ」
ほむらの言葉でさやかははっ、とした表情になる。そうして再び悪魔へ視線を向ける。
「この人達の視線なんて、私はなんとも思わないし、どう思われても気にならない、私自身に影響はないし、関係が無いもの。だけど貴方の視線はーー」
「私が?何」
「すごく気になるわ、忌々しいくらい、ほんとどうしてかしら」
だが言葉とは裏腹にどこか悪魔の顔は楽しそうで。
「ねえ、それって特別ってことかしら?」
この悪魔の特別になりたいなどといつの間に思い始めていたのか、さやか自身にもわからない。だが、自然とその言葉がついて出た。
「ええ、いつかは殺さないと厄介になりそうと思うくらいに」
「ころ・・・」
珍しく肯定されたと喜んだ矢先の物騒な単語に絶句するさやか。
ニヤリ、と不敵に微笑むほむら。
「あら、だって貴方今私に発情したでしょう?」
「え、そんなこと・・・それは」
「本当に犬ってわかりやすいから・・・そういう時期」
「犬じゃないわよ私」
「あら、そうだった?」
そうしてほむらは笑う。確かにそう思ったことは否めないと困り顔になるさやか。だがどうして彼女に対してそう感じるのかは、さやかも、そして悪魔本人も知っていた。
――大学時代に彼女たちは一線を越えた。
文字通り体を重ねたのだ。それは魔獣の駆逐で疲労した互いを慰め合おうとしたのか、あるいは魔が差したのか、それはいまだにわからないが、互いが初めての相手となった。それから時折体を重ねるようになって今に至る。
「まあ、魔が差したとはいえ、犬を受け入れた私にも責任はあるわ・・・」
さも困ったといわんばかりの表情を浮かべ、ほむらはこめかみに手をあてため息をつく。この数年で悪魔はユーモアを僅かながら身に着けたらしい。
「ちょっと、真顔で言われると、本当に私が犬みたいじゃない、やめてよ」
そしてこの数年でさほど成長していなかったらしい鞄持ちは悪魔の言葉に振り回されて一喜一憂する。そのたれ気味な間抜け目を見て、ほむらはまたくすくすと笑う。おそらくその脳内でさやかを犬にでも変換しているのだろう。
拗ねた様子のさやかを見て、ほむらは何を思いついたか、いきなり体を乗り出すと顔を近づけさやかの唇にキスをする。驚いているさやかを後目に、ほむらは平然と着席して囁いた。
「貴方の唇ポテトの味がしたわ」
「あんたこそ、コーラの味がしたわよ」
失笑しながら、ほむらはぱちん、と指を鳴らす。周囲が再び賑やかになる、時が動き出したのだ。
「ねえさやか」
「何よ?」
ほむらがさやかを見つめる、どうやら今度は真剣の様だ。
「さっきも言ったとおり、私はほかの人の視線なんて気にしないし、なんとも思わない。まあ、貴方のおかげで大学時代は助かったわ、それは事実よ」
大学時代、ほむらの美貌目当てで近寄った多数の男子学生(時折女子学生も)がさやかの脳裏によぎる。
「でもね、貴方ももう人の目は気にしないでほしい」
「え?」
意味をはかりかねてさやかが首をかしげる。
「人の目よりも気にしてほしいのよ」
「何を」
「私を」
嬉しさも通り越すと何も感じなくなるのだろうか、それはあまりにも突然の事で、さやかは口をあけたまま動かなくなった。
「ねえ、おわかり?ていうか聞いているの?」
ほむらがさやかの顔の前で、手のひらをひらひらと振る。しばらくして、さやかの顔が嬉しそうに崩れ始めたので、ほむらは手を止め、さも嫌そうな顔をした。
「気持ち悪い」
「ひど!てか、まあ・・えへへ嬉しいわ、あんたにそう言ってもらえるなんて」
「重症ね」
まだへらへらと嬉しそうにしているさやかの頭を軽く叩き、ほむらは立ち上がる。
「どうしたの?」
「おかわりよ、ハンバーガー2つ追加」
「そんなに?」
「「夕食をごちそうする」っていう誰かさんの言葉を信じてお昼から何も食べないで待ってたのよ?それが23時帰宅とか信じられないわ」
悪魔は相当お腹が空いていたらしい。申し訳なさそうな顔になるさやか。
「それは、本当にごめんなさい、謝るわ、次ちゃんと奢るから」
警察官になるとどうしても突発的に事案が発生してしまうのだが、さすがに今回はまずいとさやかは反省した。
「・・・まあいいわ、次、魔獣が出てこない日に絶対にね」
そう言って、ほむらは颯爽と店員の待つカウンターへ向かった。その子供の様な仕草にさやかは苦笑して。
約束の日、結局はまたハンバーガーを食べることになったことと、大学時代の友人の話で盛り上がったのはまた別の話
END