「わあ!」
美樹さやかは素っ頓狂な声をあげて、家電製品コーナーの中を駆けだした。向かうは中央にある大型テレビ。ブルーのポロシャツを着た数名のスタッフが声に驚きさやかを見やるが、すぐに笑みを浮かべる。そう、彼女はこのコーナーの常連なのだ。いや、正確には「常連さんのお連れさん」なのだが…。
「ちょ、ちょっとやめなよ!」
さやかは顔を紅潮させ、大型テレビの前にあるソファに向かって声をあげる。テレビの前の黒いソファ―には長い黒髪の女性が優雅に脚を組んで座っていた。白磁のような白い肌に、艶のある長い黒髪、そして恐ろしいほど美しい容貌。夏に合わせてか、青い空をイメージしたライトブルーのワンピースが白い肢体にマッチし、眩しい位に美しい。女性は細い腕を伸ばし、リモコンを手にするとお気に入りの番組を見るためチャンネルを変えた。
「…あら、お帰りなさい」
ようやく相方に気付いたのか、女性は顔をあげて微笑んだ。あまりの美しさに蒼い髪の女性は一瞬惚けた表情で、「ただいま」と囁き、しばらくしてハッ、と何かに気付いたのか叫ぶ。
「てか、ここデパートよ!」
* * * *
大学を卒業して警察官になったさやかは、最初の給料をすべて相方である黒髪の女性につぎこんでしまった。
『なんでもおごるから』
意気揚々にそう宣言して、その数時間後には給料が千円札数枚になっていた。
『私ってほんとバカ』
それ以来さやかはとにかく金の管理に気をつけるようになった。(とは言っても、現在に至るまで成功した試しは無いのだが。)
『大丈夫よ、私が養ってあげるから』
黒髪の美女がさやかにそう囁いた時、なんの冗談かと思ったが、それは真実で。彼女の資産はさやかが一瞬息を止めてしまうほど、べらぼうな額だった。どもりながら黒髪の美女に出所を聞くと、「資産運用よ」と言ってウインクされてしまい、さやかは赤くなってしまった。
『…で、でも、それじゃ悪いわよ、ずっとあんたの家に住んでるし、生活費も払ってないし』
そう、実際、さやかは高校生の頃、黒髪の女性の家に転がり込んでから、大学を卒業して社会人になる今のいままで、生活費を一切払っていない。まるでヒモのようだ、と自分でも思っている。だがその言葉に不思議そうに頭をかしげる黒髪の女性。絶世の美女だというのに、その仕草はまるで幼子のようで。訝しげな表情を浮かべながら、女性は口を開いた。
『あら、飼い犬にお金を請求する飼い主なんていないわよ?』
『ひど!てかっ、ありがとう…って、ああもう!怒っていいのか、お礼言っていいのかわからないじゃない!』
『なにそれ』
さやかの訳のわからない感情の爆発に、黒髪の美女が珍しく歯を見せて笑った。高校の頃にくらべ、だいぶ大人らしく、そして柔らかくなった、とさやかはその顔を見て思う。気を取り直してさやかは囁いた。
『ねえ』
『なあに?』
『私ってさ、あんたにだいぶ世話になってて、なんにもお返ししてないのよ』
『礼には及ばないわ』
『でも、これからはちゃんとしたいのよ、働いたし、給料もちゃんと生活費として入れたい』
『なんでわざわざ』
『一緒に暮らしたいからよ』
これからもずっと、と付け加えさやかは微笑んだ。
――今考えると、なんだかプロポーズのようだわ
時折あの頃のことを思い出すと、さやかはいつもそこで赤くなる。
だがあの頃のさやかは無自覚で、きっとへらへらと笑いながら相方である黒髪の美女に囁いたのだろう。黒髪の美女――暁美ほむらは固まったまま、だいぶ長い間さやかを凝視していた。
『………わかったわ』
それから、日常生活のほとんどはさやかの収入から出費することになった。ほむらの資産は将来のための大事な「備え」として普段は使用しないことにした。二人でテーブルを囲んで話しあってそう決めたのだ。その時ほむらは何を思ったのか、フフフ、と笑い始めさやかを見つめた。何?とさやかが聞くと、ほむらは艶のある唇を開き答えた。
『まるで夫婦みたいね』
その時の二人の間に流れた甘い雰囲気をさやかは忘れることができない。いつもの殺伐とした空気から一変した、優しく心浮き立つ甘い空気。目の前の美しい相方からその様な甘い雰囲気が醸し出されるなど思ってもみなかった。その頃からさやかは――ほむらに恋をした。そうして、使命だけでなく、はじめて生活のために勤労意欲が高まったのである。二人の生活のために仕事をがんばろうと…だが――。
* * *
「この番組観たかったのよ」
「ちょ、ちょっとやめてよ!て、店員が見てるじゃない」
「どうして?貴方も座ってみたら」
「いや…でも…」
さやかは周囲をきょろきょろと見渡す。周囲には微笑んでこちらを見ている店員が数名。それもそのはず、二人はこのコーナーではちょっとした有名人なのだ。発端は数か月前、美しい女性が新製品の大型テレビの前に立ちすくんで、じっと番組に見入ってたことからはじまる。
『テレビをお探しですか?』
中年の店員の言葉に美女はきょとんとして、首を振った。そうしてまたテレビに見入った。まるで子供の様な仕草に、店員はふと笑みを浮かべてしまい、そのまま通り過ぎる。それが数回続き、黒髪の美女はコーナー内の店員の間で話題となった。その後、友人なのか同じ年頃の蒼い髪の女性が変な悲鳴をあげながら駆けこみ、黒髪の女性を引き摺るようにして連れ帰ることが数回続いて、二人は有名人になった。そうして、このコーナーの店員の意図なのか、なんなのか、テレビの前にソファが置かれることになり、今度は黒髪の美女は座りこんでテレビを見るようになった。(と言っても、すぐに蒼い髪の女性が連れ帰るので、長時間には及ばないのだが。)
「ねえ、やめてよ、テレビくらい私買えるわ!てか買うから!」
ほむらの右腕をひっぱりながら、さやかが情けない声で訴える。すると黒髪の美女はさやかを見つめ、ふい、とまた顔をテレビへ向けた。
「…いらないわ」
口を尖らせ呟く黒髪の美女。
――欲しがってるじゃない!
さやかは心で叫ぶ。
「それより、一緒に観ましょう?」
無邪気にさやかの腕を掴み、ほむらが引っ張った。常人の倍はある力で。引き摺られるようにして、さやかがほむらの隣へ座り込む。にこやかにほむらが番組の解説を始め、音声を大きくした。変な声をあげながら顔を赤くするさやか。
「ちょっと、こ、これどんな罰ゲームよ!」
「あら、罰ゲームじゃないわ、面白いのよこれ」
そうなのだ、ほむらは大の映画好きで、テレビもその延長線上で好物なのだ。さやかは何故それに気付かなかったのか、と己を叱った。食い入るようにテレビを見つめる相方の横顔は、無邪気な子供そのもので。ふと、さやかは子供に何か買ってあげたいと思う時はこういう時だろうか?と考えた。
「ねえほむら」
「ん?」
「家にテレビ置こうか?」
「それは嫌」
「?」
なんで、と聞こうとしたが、ちょうど番組も終わったので、ほむらは立ち上がった。一緒にさやかも立ち上がる。まるで自分の家の様にふるまっていたが、ここが電化製品コーナーだと思いだし、さやかはまた顔が赤くなった。周囲にはにこにこと微笑んでいる店員がいて、周囲の優しさにまたさやかは顔が赤くなる。そうして、今度何か買わなければと決意した。
* * *
日も暮れ、夕焼けが始まり空が金と朱に染まる頃、二人は帰路についた。妙齢の女性二人は寄り添う様にして歩いていて。その手は自然と握り合っていた。二人とも心地よい沈黙に浸っていたが、しばらくしてほむらが口を開いた。
「……貴方がいるもの」
「へ?なんのこと」
ほむらがわからないの?とでも言う様な顔でさやかを見る。困ったように垂れ気味な目をしばたたかせるさやか。しばらくして、ああ、と声を漏らした。
「…テレビのこと?」
さやかの囁きに、こくり、とほむらは頷き、そうしてまた前を向いた。まさか飼い犬の世話で忙しいからテレビを見る暇は無いということだろうか?さやかは怪訝そうに相方の横顔を見つめる。だが、相方は夕焼けに視線を向けて、もう喋る気は無いらしい。さやかも相方の視線に合わせ空を見つめた。そうして、ある決心をした。
* * *
翌日の午後、ほむらは一人ソファに座り雑誌を読んでいた。雑誌の内容は証券や株の記事で。悪魔になったからか、それとも元々その資質があったからか、ほむらは「先見の明」に優れていた。(過去の経験からかもしれないが)化学だけでなく統計学にも興味のある彼女は全ての世界に影響を与え、関わっていく株の世界に興味を持ち、恐ろしいほどの勢いで財を成した。決して人外の力を使った訳ではない、彼女は常にフェアだった。しばらくして、ふう、と息を吐いて雑誌を横に置く。もうすぐ相方が帰ってくるのだ。
『家にテレビ置こうか?』
そう言った時の情けない相方の顔を思い出して、ほむらはくすくすと一人笑う。最近は蒼い髪の相方の顔を思い出すだけで口元が緩むのだ。必要無いと言った真意をあのお間抜けな相方は理解したのだろうか?
ガチャ、とドアの開く音がした。
「おかえりなさい」
ソファに座りながら、ほむらは少しくたびれた感じの蒼い髪の相方に声をかけた。
「ただいま」
くたびれながらも、へらへらと笑うさやか。なんだか嬉しそうなのがかえって不審に思ったのか、ほむらが顔をしかめる。
「…なに、気持悪いわ」
「ひど!せっかくこれ買ってきたのにさ」
「え?」
ほむらが驚いてさやかの腰のあたりを見つめる。さやかは手を後ろに組んでいた。そうして、じゃじゃん、と口で音を発して箱を差し出した。それは30㎝サイズの箱で。開けてみるとポータブルサイズのテレビが入っていた。
「……テレビ?」
「うん、あんたは家にテレビいらないっていってたけどさ…」
照れくさそうにさやかは言葉を続ける。
「たまに観たくなったら、これで…観てもいいかなって」
「………」
「あ、あんたの真意はわからないわよ、でも、きっとこういうことかなって…」
「…馬鹿ね」
ほむらの言葉にさやかはえへへと微笑んで。なぜならほむらの顔は紅潮していたから。当たらずとも遠からずなのだろう、とさやかは思った。テレビを置いて、ほむらは立ち上がる。
「外れてるけど、まあいいわ」
そう囁いて、相方にもたれた。嬉しそうにその身体に手を回すさやか。
「え、そうなの?」
「そうよ、本当に馬鹿ね」
二人の空間に余計なものをいれたくない――これがほむらの真意。だが、ポータブルなら
特に邪魔にはならないだろう、一人の時でも二人の時でも。飼い犬にしては上出来だ、とほむらは嬉しそうにその唇を塞いだ。それから二人がテレビを見るのは数時間後、ベッドから戻ってのこと。
END