「あうう…『奥さん米屋です』の方がまだ面白い…」
「?」
「なんですの?それ…」
「ええ、し、知らないんですか!名作ですよ!」
「名作って、ヘミングウェイか何か?」
「いいえ。AV界での名作です、不倫ものの金字塔といわれてます」
「……」
「……」
2人は読子がなぜAVを観ているのか、いやそれ以前に知っているのか等々驚きと疑問で二の句がつげない。
が、次の読子の台詞で納得する。
「『AV百選』という本で読みました、日本のAVもやるもんですね〜」
読子は本ならなんでも読む。聖書からゴシップの詰まった性風俗満載の本まで、本に位をつけずに公平に。
偏見を持たず「真っ白」な状態で本を読む読子は、まさに本にとって最高の読者である。
その純粋な狂気が彼女をザ・ペーパーたらしめるのだが。
「はああ・・・でもこのパンフレットだけじゃ足りませんねえ」
「そうですわねえ…なんだかまためまいがして」
「姉さん…」
と、近くで「バサッ」という味気のない音がする。
3人が音の方へ視線を向けると、落ちていたのはノートとペンだった。
「今度は何か書けってことでしょうかねえ…」
読子が眉毛を下げて困ったような顔を浮かべる。正直、どこまでも温和な読子でもいささかこの状態には辟易していた。
本当なら、今頃仕事を終えて部屋でのんびりしていたはずだ。のんびりしていたところに先生が…読子がハッとした表情になる。
「あのう、ミシェールさん」
「はい?」
「家に先生は戻っていましたか?」
そういえば見ませんでした…と答えたのはマギーだ。
「それじゃあ、先生もこちらに来ているはずですね」
読子は確信した。この空間に来る前はねねねと一緒だった。だとしたらねねねもこちらに連れ去られている可能性がある。
読子の表情に憂いが差した。読子自身気づいていないがねねねの存在は、彼女の心に大きく鎮座している。おそらくかつて師であり恋人だった彼よりも。
* * * * * * * *
「どうやら、あなたのことを心配しているみたいですね」
博士と呼ばれている男がねねねを見て微笑んだ。ねねねが何も言い返さなかったのは、男の微笑みがとても優しかったからだ。
その笑みに既視感を覚えたねねねが沈黙ののち恐る恐る男に尋ねる。
「……あんた、誰?」
さあ…と笑いながら男は背を向ける。大画面には読子の顔。
「…今にわかりますよ」
* * * * * * * *
「…だめだ、姉さん、書けないよ…」
マギーがペンを持つ手を震わせながら姉に困った顔を向ける。
「え〜、なんでもいいからマギーちゃん、がんばってえ」
パンフレットを読み飽きた3人は、とりあえず自分達で文章を作ることにした。…が、無論うまくいくわけもなく、こうして苦悩している。
読むことに特化した紙使いにとって、文章を書く行為は神聖な行為である。だからこそ作家に対して畏敬の念を抱くわけであるが。
メモ書きや手紙程度なら3人も人の子、書けないことはない。だが、本が無い今、何か作品を書くというのは3人には恐れ多くてとてもできない
ものだった。
「うう…やっぱり出来ない…」
* * * * * * * * *
「どうやら、何も無い状態でも自ら文章を創り上げるのは無理のようですね」
博士はねねねの方を振り向く。
「それでは、貴女に行ってもらいましょうか」
「嫌よ」
「?」
アニタが動いた。白衣の男たちをなぎ倒しながら、大画面を設置している機器類を紙で破壊する。
「や、やめろ!それは」
コード類が切断され、大画面の中の空間に色がついていく。
「あんたたちのトリックは見破ったわよ」
ねねねは博士を突き飛ばして、設置されたマイクを手にする。
「あんたたち、それから…メガネ!早くそっから出てきなさい!」
* * * * * * * *
「?なんだか周りが」
3人を取り囲む空間が変わった。白い色は何かの煙だったらしく、それが吸い取られていって、無機質な機械の壁が現れてくる。
『あんたたち、それから…メガネ!早くそっちから出てきなさい!』
「先生!」
読子の顔が思わず緩む。周りを見渡すと、一か所にドアがある。
「2人とも行きましょう」
* * * * * * * *
「…これはどういう心境の変化です?菫川さん」
博士は絞りだすように声を出す。首元にはアニタの紙が突きつけられている。
「心境も何も、あいつらをこれ以上モルモット扱いされるのが嫌なだけよ」
「…興味は無かったのですか?」
「…何が?」
ねねねの声が少し高ぶる。なぜだかこの眼前の男は苦手だった。まるで自分の心の全てを見透かされているようで。
「あの人たちが、いえ、あの読子・リードマンが、本に飢えた状態で貴女と会ったらどうなるかということを」
「興味無いわ」
「嘘ですね…あなたは読子に」
「興味無いってば!」
まるで駄々っ子のようにねねねは叫ぶ。顔は真っ赤だ。
「わかりやすいですねえ」
博士はにこにこと嬉しそうに微笑む。そして視線をアニタに向ける。
「そんな紙で僕を押さえつけようとしても無駄ですよ」
「何?」
ぐにゃり、とアニタの紙が元の紙に戻る。
「え?」
そのままアニタは突き飛ばされる。そして突き飛ばした博士の手からマジックのように紙が出現する。
「嘘…」
ねねねの表情が驚愕のそれに変わる。そうだ、この予備動作無しで脈絡もなく紙を出現させる紙使いは一人しか知らない。
気づくべきだった…とねねねは後悔する。読子に似ているんじゃない、読子がこの男に似ているとしたら。
「あんた…ドニーね?」
男は満面の笑みを浮かべる。その笑みはねねねの作品を読んだ後の無邪気な読子の笑顔にそっくりで。
なぜだか、ねねねは寒気を感じた。
「はじめまして、菫川先生、僕がドニー中島です」
つづく
意見・リクを是非