「待ってください博士」
「どうした?」
博士と呼ばれた白衣の男は、助手の方を振り向く。
「…まだあの3人は苦しんでいないようです」
大画面に映し出された3人は楽しそうに談笑している。
「確かに、まだ実験には早すぎますねえ」
* * * * * * * * * * * *
3人は地べたに座り込んで談笑していた。この空間が何からできて、そしてどうやったら出られるかわからない以上、
無駄に体力を使うよりも温存しておいた方がいい。活字は無いが、3人なら談笑できる。
そもそも3人は菫川ねねねを介して出会った。まだまだ互いに知らないことが多すぎる。人にあまり興味を示さないはずの
ビブリオマニアだが、やはり紙使い同士というか、シンパシーが合うのか会話は弾んだ。
「それで、読子さんは5年間図書館で何をされていたんですの?」
一通り互いの紹介も終わり、会話もひと段落ついた頃、話題はもっと深く込み入ったものになる。
ミシェールはナンシーと読子が二人で5年間何をしていたのか気になっていた。
「はい、ずっと本を読んでいました」
読子はしごくあっさりと恐ろしいことを答える。図書館だから当たり前といえば当たり前だが、それでも5年となるとかなり突きぬけている。
「…あの、お風呂とかそういったのはどうしたんですか?」
マギーがなぜか顔を赤らめて質問する。読子はそんなマギーを見て微笑みながら答える。
「はい、ときどき銭湯に行ってました。私は別にお風呂なんて入らなくてもいいんですけど、ナンシーさんはきちんとさせなきゃと思って」
前半突っ込みどころ満載な台詞だが、後半も読子の人柄を知っているものなら突っ込んでいるだろう。
あの読子が他人の世話をするなんて…!
「まああ〜素敵ですわ、これも愛ですわね〜」
「はい、ナンシーさんは赤ちゃんみたいで、いっつも私が体を洗ってあげてたんですよ」
これまた嬉しそうに読子はナンシーのことを語る。今まさにこことは違う場所で嫉妬という名のフラグが立ったことに気づかずに。
それからしばらく談笑が続いた。
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「ねえ、ねね姉、どうする?こいつらやっつけて3人助けなきゃ」
「…いや、もう少し様子を見よう」
二人は研究員から与えられた食事を口にしながら、こそこそと話し合う。アニタがいるからにはこっちの方が優勢だとねねねは思っている。
しかし、あの3人がどこにいるのかわからない今、暴れるのは得策じゃない。相手が好意的な今、情報を仕入れるだけ仕入れた方がいい…
それに、あいつが5年間何してたかわかるし…これはねねねの秘かな思いであった。しかし、あのナンシーのことはあとでふんじばってでも
読子の口を割らせてやるとねねねは怒りを抑えながら誓っていた。
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異変を感じたのはミシェールからだった。
「…あら?なんだかめまいが…気分が悪くなってきましたわ」
「大丈夫?姉さん」
額を抑える姉を心配そうに見つめるマギー。読子ははっと真剣な表情を浮かべる。
「まずい、とうとう来ましたね」
「何が…です?」
「活字の飢えです」
以前、読子が無人島で生活を余儀なくされた時、体は健康でも、心が本を求め、精神的に追い詰められあと少しで死を迎えようとした。
その「飢え」が3人を今まさに襲おうとしている。
「…そんな」
マギーがおびえたように姉の肩に手を置く。
「そろそろ脱出の方法を考えないと…」
* * * * * * * * *
『そろそろ脱出の方法を考えないと…』
大画面に映る真剣な読子の表情を見て、白衣の男は「今です」と博士に進言する。
うむ、と博士はうなづき、実験のスイッチを押した。
「実験開始」
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「だめだ…私も気分が…」
「がんばってください、マギーさん…気をしっかりもたないと」
そういいながら、読子の視界もかすんでいく。脳裏に作品を執筆中のねねねの後ろ姿が浮かぶ。
一瞬こちらを向いてほほ笑んだような気がしたが、それはまずないだろうと、読子は冷静に判断する。
「あああ〜先生の新作が読みたい」
「私は昨日買った江戸川乱歩の全集が…」
「ヴァン・ダインの……」
活字の飢えの進行は早い。3人は精神を保とうと、必死に呪文のように本の名前を唱える。
「真夜中の解放区、君が僕を知っている、巡査の首、夜歩く…仮面劇場の殺人…はあはあ、まずい、まずいです…」
「なんでもいいから本…本があれば」
「ああ、本が読みたいです〜」
と、天から何やらひらひらと落ちてくるものが。
先に気づいたのはマギーだった。
「あれ?何か落ちてくる」
マギーの指さす方向を見て、読子が嬉しそうに目を輝かせる。
「ああ!あれ何かのパンフレットですよ!」
3人は弱っていたのが嘘だったかのように、軽やかにパンフレットめがけて駆けだしていき、そして飛び込んでいく。
ゴッツン
鈍い音がした。
「……あうあう…」
「………」
「い、痛いわ〜…」
頭を抑えのたうちまわっている読子、同じく頭を抑えうずくまったまま動かないマギーそして、妹の背中に頭を押しつけて泣く長女。
しばらくその状態が続き、痛みも和らいだのか3人はよいしょと体を起こし、今度はゆっくりと頭をくっつけあった。
「仲良く…読みましょうか」
てへへと笑う読子を見て、思わず二人もつられてほほ笑む。
「そうですね、一緒に」
「あ〜やっと活字が読めますわね」
目を輝かせて3人はパンフレットに目を向ける。
『今月最新巻紹介 THE淫乱!人妻から女子高生まで野外でイってQ!』
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
3人はただ黙って、野外プレイを楽しんでいる女子高生の写真を見つめている。
「…まあ、何もないよりはいいでしょうね」
「…そうです…ね」
「なんだか刺激的ですわね〜」
他の2人は知らないが、読子は活字ならなんでも読む。エロ本も然り。以前、本がなんにも無い時、外国のエロ雑誌を読んだがその時は
女のあえぎ声ばかりでひどくつまらなかったことしか覚えていない。
「…いまどきの女子高生Nちゃんはとっても淫乱、今夜も僕の言うとおり公園にやってきて野外で」
読子が音読で、2人が目で読む。
「ズッコン、バッコン、彼女って超サイコー…あううう面白くないです…」
「がんばって、読子さん!読まなきゃ私たち死んでしまうわ」
「…読子さんの読み方素敵です」
思いっきり棒読みな読子の音読を、マギーが顔を赤らめながら誉める。ここでもなんだか変なフラグが立ったらしい。
「そうですか、じゃあ続けます…僕は彼女より先に、世界の果てまでイッテQ!」
* * * * * * * * *
「…駄目だ…腹、腹が痛い…」
アニタが苦しそうにもだえている。笑いすぎでだ。他の白衣の男たちも体を小刻みに震わせて笑いに耐えている。
ただ一人、ねねねだけが顔を真っ赤にしてなぜだか恥じ入っていた。
「あ…あの馬鹿…」
それはまあ、なんというか、餌を与えなかったため、よそ様の家に侵入して粗相をした飼い犬の飼い主の気持ちというか…。
博士もまたなんとか笑いをこらえていた。実験は成功なのだろう、喜んだ表情で次の実験を宣告する。
「それでは次の実験を開始します」