さんかくの部屋

アニメ、ゲーム、ミステリ感想、二次創作多めの雑多ブログです。最近は、まどか☆マギカ、マギアレコードばっかりですがよろしくです。

戦火の勇気を観て

いやはや、GW皆さんはどうお過ごしでしょうか。小生は休みを取ることができましたが、諸事情で仕事三昧です(何)繁忙期はどこでもあるものなので、特にそれについて不平不満は無いのですが、どうすれば小生も含め部下も皆心おきなく休日を迎えることができるか模索中です。また大人になって(だいぶ前から大人ですが)わかったのが、既婚者は気苦労が多いこと。小生はまだ独身なので楽ですが、GWや夏休みなど子どもと一緒に過ごすために行楽地に向かうことが大変なこと!話を聞いてガクブルです。いや家族と過ごすのは純粋に楽しいのでしょうが、大勢のひとだかりと渋滞はきついそうです。とまあ話が長くなりましたが、仕事の人、その他諸々いろいろあるでしょうが、皆がんばって過ごして参りましょう。

さてさて、表題のとおり、以前も観たのですが、BSで放映されていたのでまた観ました、デンゼルワシントン、メグライアン主演の「戦火の勇気」。これは戦争映画の中でも人間の後悔や懺悔を取りあげている(と小生は思っています)貴重な映画で大なり小なり思いあたることがある人の心を抉る映画だと思います。あっさりとネタバレを書きますので、未見で知りたくない人は回避してください。
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メグライアン演じる女性指揮官は結局のところ下士官の嘘の証言により、戦場で置き去りになり死亡するんです。ただ、ラスト判明するのですが、彼女の遺書にあるとおり、彼女は「死ぬのが怖いわけではない」のですね。むしろ「仲間に失望される」のが怖いんです。そこに小生は心を抉られました。いや、戦場に例えるのは無理なのですが、仕事で部下ができたり新しいプロジェクトをまかせられたりする時の状況に似ているなと思ったのです。仕事で日付が明日に変わって、朝に近くなって帰宅しても、すぐにまた出勤して、それが毎日続き、次第に体調が悪くなっても、それでも仕事をする。そこまでの行為って、「金を儲ける」ためでもなく、「生活を豊かにする」ためでもなく、「家族」のためでもなく、単純に「仕事をうまくこなしたい」「部下に失望されたくない」という小生の気持ちに似ていると思ったからです。そこまで追い詰められているのか、というのはその場を離れて冷静にならないとわかりません。その時になって、体調を崩したりしてあれ、どうしてそこまでしたのか?と後悔しないためにも常にどんなに忙しくても、冷静になることが大事です。仕事なら一歩離れて、ある程度のノルマを果たして、その生き方に疑問を持てば職種を変更するか転職でもいいかもしれませんが、戦場はそうはいかない。映画の話ではあるのですが、軍人として生き方をまっとうした彼女の信念は尊敬しますが、ラストの残された娘や彼女の母を観て、小生は切なさと虚しさを感じました。葬儀は軍が取り行い立派で、頭上を飛ぶ戦闘機を娘が泣き顔で見上げるシーンがあるのですが、なんというか、もっと別の生き方を選択していれば、家族で幸せに過ごせたのではないかと余計なことを考えてしまうのです。小生が家族と過ごしたいという思いが人一倍強いからかもしれませんが。「仲間に失望されるのが怖い」という言葉は、もうその人の関心すべてが「仕事(ここでは軍)」ということを表しているのでしょう。死すら怖くないという…。だが、映画を観た方は知っていると思いますが、極限状態での彼女に対する下士官の態度は目に余るものでした。負傷した兵を置いて行けない彼女は指揮官として皆この場にいるよう命じますが、それに対し逃亡しよう、負傷者は置いていこうと主張する下士官。主張の内容の是非ではなく態度がひどかった。彼女が指揮官であるという尊重性がまったくない言葉で責め立てる。「クソアマ」とか、挙句の果ては涙を流した(己のふがいなさと、下士官の態度のひどさ等で)彼女に対し「見ろ、隊長が泣いてやがる」・・・・・・もう本当にやるせなかった。馬鹿にしているにもほどがある。言葉にはしたくないが、あきらかにあの国の軍には性差別が限りなくあり、それを描いているのだと思いました。あんなに軍に対し誇りをもって戦場に向かう時も死よりも仲間に失望されるのを恐れていた彼女に対し、死を目前にしてあんな仕打ちかよと。妄想しすぎですが、小生に娘がいて、反対の末軍に入ってあんな目にあったら、鬼になれますよ。

そして、生き残った下士官達もそれぞれ救いようのない人生を送っていました。それは虚偽の証言をして生き残った良心の呵責から。「仕方が無い」「戦場という特殊な状態」それは皆知っていて、そしてあの時の行為は小生含め当事者ではないもの誰も責める権利は無いのです。責めたとして、では小生は逃げずに戦場に残ることはできたのか?もしかしたら生き延びたいために真っ先に逃亡したかもしれない。正に極限状態の出来事を責められる権利なんて誰にも無いのです。だから彼らを責めるのは「自分自身」そして己の中にある「神」と呼べる良心のようなもので。だからこそ苦しい。許しを請おうにも自分自身の内なるものが「許してない」ので心の重荷が取れない。ああ、やるせない。なんというかこの映画つきつめて観てしまうとやるせない。

ただ、最後救いというかデンゼルワシントンが我が家に帰還し、家の外で空を見上げた時に、ヘリコプターに乗って高いところへ上昇する彼女の姿を見るんですよね、成仏したというイメージで、それはほんと泣けました。遠い未来、すべての嫌な出来事も何もかも浄化してみんなひとつになれる、そう考えて映画ではありますが、登場人物のご冥福をお祈りしました。


・・・いやはや、10年くらい前に観た時は「あの下士官嘘の証言しやがって!マジ許せねー!」とかそういう感想だけだったのに、年を取ったからか、ここまで激しい感想になってしまいました。文学作品でも言われますが、同じ映画でも年月が経ってあらためて観るとまた新たな発見(己の内面)がありますね。皆さんもそれぞれ自分にあった映画に出会えれば幸いです。ではでは。

よし次はマギレコ(今回の話題と離れすぎている感がw)感想だ!