さんかくの部屋

アニメ、ゲーム、ミステリ感想、二次創作多めの雑多ブログです。最近は、まどか☆マギカ、マギアレコードばっかりですがよろしくです。

【ネタばれ有り】マギアレコードファイナルシーズン感想【2.病院組を中心に】

こんにちは、さんかくです。

以前から里見灯花と環いろはの関係性が好きだとブログに書いていましたが、今回はその二人を含む病院組を中心としたアニレコファイナルの感想を書いてまいります。未だに結末の衝撃が根強く残っておりますが、そのあたりも自分なりの解釈(妄想)で着地点を見つけようやく落ち着きました。ではでは前回もお伝えしたようにヘビーユーザーの一個人としての感想ですので「まあそういう考えもあるか」と生温かく読んでやってください。

 

全体として

ファイナルだけに限らず、こと病院組に関しては全シーズンを通して非常に丁寧に扱われていたと個人的に思っています。例えば環いろはの記憶の断片として登場する彼女達のエピソード…ゲーム版で直接描写されていなかった部分を見事なまでに描き出しており、オリジナルティでありながら補完の役割を見事に担っているなあと初見時唸りました。また、短い尺の中台詞や言動でうい、灯花、ねむの性質と関係性(いろはを含む)を見事に表現しているなあと感じ入るものが多く、特に里見灯花に至っては、ういと同じようにいろはの腕にしがみついたり、写真を撮る時一人だけいろはを見上げている(ファイナル一話)等いろはに対する思慕の情がひっそりとうまいこと表現されていて嬉しかったです(灯いろスキー)そしてとにかく展開がよく計算されているなあというのが私の率直な感想です。結末については衝撃的過ぎて正直なところ未だに折り合いがつかない所もありますが、『それから』を妄想することによってどうにかこうにか落ち着いている所です。そちらについては後述したいと思います。

 

 

主人公の核となる存在達

病院組(うい、灯花、ねむ)の存在を一言で表現するならいろはの核(行動原理)ではないでしょうか。人が他者の存在によって定義づけがなされることが可能になるように、環いろはもまた、環いろはたらしめるのは『妹』の存在が大きいだろうなと私は思っています。実の妹であるういと、そして同じ病院に入院していた同年齢の天才幼女二人、灯花とねむ。まさに片翼というか番といってもいいくらいの結びつきで繋がった存在。その存在がいつの間にか失われその『空白』を埋めるために環いろはが行動を起こす、そこからマギレコは始まっており、物語の核となる魔法少女の解放、ドッペルシステムも天才幼女二人の発想から始まっている。そう考えるといわゆる病院組の存在は『いろはを中心とし、且つスタート地点の』マギレコの物語に置いては、そのオリジンであり物語の母体の様なものだろうなと思います。(あくまでスタート地点、時が経過することで主人公はまたある年上女性と運命的な邂逅を果たすことになり様相もまた変わります)アニレコに置いてもその役割は変わらず、更にゲーレコよりも増して重要性が高まった…結末を観た後ではそう言える気がします。

 

 

僕たちの失敗

ファイナル一話『僕たちは失敗した』は森田童子の『僕たちの失敗』にかけているのかなと思っていたら、イヌカレー氏のTwitterで「森田童子色も強めに出ています」とあり「やはり」と納得しました。確かにゲーム版においてもこの子達はキュウべえとの契約で思い描いていた願いはうまくいかず失敗しています。(もちろんこの子達が失敗するなら誰がどうやろうと無理だと思いますが)だが大きく違うのは、ゲーム版はその失敗からどうにか立ち直りいろはは妹達に救出に成功しているんですよね、アニメではこの願いの失敗が強調されています、まさに「森田童子色強め」に帰結するように。失敗した時…柊ねむだけ記憶を維持していたというのもまた面白い設定だと思いました。明らかにこの辺りアニメのオリジナル展開ではありますが、ゲームでもあり得た展開というメタ的表現でねむは車椅子だったのかなと私は妄想しています。(セカンドでもそうですが、結構メタ的な表現や叛逆のオマージュ的なものが随所随所で登場してきているように思えます)また一話は光のコントラストがとても印象的でした、まるでいろはの心象風景を表しているかのように。明るい陽射しが差し込む病室で楽しそうに時を過ごすいろは達、中盤の医師の告知で悲しむいろはと家族、そしてキュウべえと契約するシーン。特に契約場面のそれは白がほんとに印象的でとても美しい回だったなあと思います(同時に怖くもありましたが)そして、ういの化粧のシーンと霊安室については初見時からあまりいい印象を持っていなかったのですが、結末を知ってからそんな自分の感情に納得がいきました。なんとなくですが、あの一連のシーンが破滅の道を進むであろう彼女達を暗示している…そんな気がしたのでしょう。本当に怖いシーンです(個人的に)

 

 

 

わたくしの大切ないろはお姉さま

二話では記憶を取り戻した灯花の動揺と葛藤が描かれています。この回における灯花の描写は本当に素晴らしくて、灯いろスキーな私にとってはもう嬉しさの極みでした。(初見時は言葉で表現できないほどで!)記憶を取り戻した瞬間、本能ともいえる様にいろはに駆け寄り抱きつく灯花。今までのラスボス然としていた態度とは打って変わった幼女の姿に心が打たれると同時に、彼女の中でのいろはの存在の大きさを再認識することができました。だがアニメはそこで留まらず、全てを思い出した灯花がどう反応するかまで深掘りしていきます。「私はお姉さまを殺そうとした」と苦しむ灯花とそれを宥めるいろはの構図。第一声が「いろは…お姉さま」だった里見灯花。そして全てを思い出した瞬間もまたなによりも環いろはを殺そうとした事に罪の呵責を覚える灯花の様子は、いかに環いろはが彼女の心の中を占めているかが伺えるシーンで、二人の関係性が好きな私にとっては予想以上の補完シーンでした。(「お姉さまを救おうとしたのに、なのに殺そうとした…」という台詞の痛ましいこと、痛ましいこと…)その後ねむの解説が挿入されますが、この部分の背景「弱い魔法少女が落下していく様」はかつて叛逆でほむらが魔女化する直前の映像と酷似していて、弱い魔法少女達が次々と魔女化していくことを表現しているのではと考えています。

 

 

「お姉ちゃん」という呼称と妹の境界線の曖昧さ

呵責に苦しむ灯花に対し、「今からお姉ちゃんと一緒に間違えちゃったことをひとつひとつ取り戻してゆこう」と優しく語りかけるいろは。ういに対し「お姉ちゃん」と己を呼称することは自然ですが、灯花やねむに対しそう呼称するのは「妹と同様に愛情を注いでいる」「妹の様に思っている」故の表現だと思います。このあたりは三人への手作りのお弁当(まったく同じ料理=公平に注がれる愛情)と同様アニメではさりげなく強調されている部分です。この強調のおかげで灯花がいろはを姉の様に慕う理由の裏付けにはなるのですが、反面怖いなあと思う事も。それは妹の境界線が曖昧になることです。ゲーム版においてもいろははその性質上、灯花とねむに対して妹と同じように愛情を注いでいます。だがしかし、アニメではそこがことさら強調されていて、「妹」と「妹の様に可愛がっている幼女」の線引きがひどく曖昧になっている気がしました。そして恐ろしいことにゲーム版とは違い、ういが『僕たちの失敗』ですでに助からない前提で話が展開していることがここでわかります(なんたること…)妹の境界線の曖昧さ、「ういの願いはわたくしの願い」という灯花の同一視…三人が運命共同体であることを強調する数々の演出は、物語が平和なうちは微笑ましいが、この様に不穏な状態になっている場合はもう「不吉」としかいえません。そして迎えるあの結末…製作者があの結末に向けてこの一連の演出を用意していたのだとしたらもう、悔しいですが見事としかいえません(でも苦しい)

 

 

閑話休題

どこで書くか迷いましたが、Twitterで何度か呟いているように現実問題は別として、このマギアレコードは最初アニメとして世に出ていれば、まだここまで衝撃を受けなかったのではと個人的に思います。私もまた、アニメはアニメ、ゲームはゲームとして捉える自信はあったのですが、実際にこの結末を目の当たりにしてただただショックというほかありませんでした。やはりゲームとして数年間キャラクター達と付き合って愛着が生まれたというのが大きいのでしょう。アニメから始まっていれば、例え辛くとも「こういう展開もありか」と捉えることができたと思います。あるいはゲーム未履修であるならば、「いろはが魔法少女になりうい、灯花、ねむが助かる世界線はただひとつ」ということを知らず、世界線のひとつとしてやはり冷静に捉えていたと思います。そう、このアニレコが世界線のひとつであるならば、あり得た物語のひとつとして捉えられるのです。(どうにかあのアルまどMSSでの言及を何か付加することで変更できればと思わずにいられません。)ここから結末を含めての感想が続きますが、私はこの結末も有りという意見も嫌だという意見もどちらもわかる気がします。決して八方美人的な意味ではなく、見る状況によって変わるというのがわかるからです。先ほど書いたように、世界線のひとつとしてなら私も冷静に捉えることができます。今回は衝撃を受けたこともありのままに、それでもできるだけ考えに考えて自分にとって前向きな感想を書きたいと思っています。(どうか生温かく見逃がしてください)ではでは結末へ向けての感想へ続きます。

 

 

悪いのはわたくし、お姉さまは悪くない

この灯花の台詞が結末に至る病院組の心情をうまく表現している…そう思いました。齢11でしかも病院生活の長いこの幼女の世界はあの病室と優しいひと(環いろは)が全てだったのだとも。いろはが必死で妹達を守ろうとした様に、妹達もまた姉を守ろうとした、その思いの迎えた結末があれだとしたらもう悲劇でしかないのですが、ではあの悲劇は回避できたのかどうか、そういう観点で考えるととてもやるせないことが浮き彫りになります。

 

 

回避不可能と回避できなかったはまた違う

まどマギにおいて、巴マミ美樹さやかに訪れた悲劇はある意味そのキャラクターの性質上起こり得たものと考えられます、つまりあの時あの場所で起きなくともいつかはああなったのではないかという、人そのものから起こり得る悲劇。それに対しマギレコファイナルで起きた悲劇というのは、回避することは可能だったが状況が許さなかったという、状況から起こり得た悲劇だと私は考えています。これはまた別の回に書くのですが、ももこの場合がそれが顕著で、彼女の性質ならみふゆさんを放っておけないためああいう展開になるのは避けられなかったでしょうが、ではあの場にかえでやレナがいたら?と考えるとまた変わると思います。そのため尚更辛くもなりますが…また、尺の関係とはいえ「あっけなく」悲劇を迎えるのがまた今回のアニレコファイナルの際立った特徴だと思います。(私はまどかマギカからこの世界を知った者ですが、まどかマギカとマギアレコードに共通しているのは、魔法少女システムを下地とした思春期の少女達の物語ということであって「悲劇を被る」ことは必須ではないと思っています。また、悲劇の持って行き方、捉え方も違うので私はこの展開を「まどマギらしい」と例えるのはあまり気乗りしません)灯花達の悲劇もまた、急展開ではありましたが、その他の悲劇に比べれば言い方は悪いですが、じっくりと練られていた…そんな気がします。三人の願いがシステム全体のことでなく、「いろはお姉さまを助けたい」であれば…灯花の記憶が失わなければ…もっと違った方向へと展開していたかもしれない、はたまた…これを言ったらおしまいですが、もしいろはがキュウべえと出会わなければ、魔法少女になっていなければ三人も魔法少女にはならずに終わっていた。アニレコにおいてはいろはの願いは叶ったがそれは一瞬で、魔法少女にならない状態とさほど変わらない、むしろひどくなったという気がします。まるで蓋を開ければ願いを叶える前の方が幸せだった…という「猿の手」の様に。

 

 

それでも三人の心は救済された(されていた)

ういが望まなくても計画を遂行しようとする灯花とねむ、そしてそんな二人を止めてと姉に頼むうい、そして三人を救えなかったいろは。だがその心は救うことができたと私は思っています。ういはもちろんのこと、灯花もねむも。ただそれはいろはが魔法少女になったからというよりも最初から、あの病室で四人が出会った時点でもう彼女達は安息も救いも得ていたとそう思えるのです。妹の事を思い契約した姉、そんな姉を救いたいと結束する妹達、互いに相手を思っての行動だったが、それが地球外生命体の合理的過ぎるシステムの前で悲劇を生んだ。しかしその心は悲しみに押しつぶされてなどいなかった、例え望まない結末だとしても…私はそう思っています。

 

 

三人はどこへ

三人は消失(死)しますが、では実際にどうなったのか。姉が幸せだと思う所に私はいると言い切った妹、それはこれから姉が歩むであろう人生を鼓舞するためのものだと思いますが、それに加え実際に彼女達が精神体としてどこかに存在する(人ならざる存在となって魔法少女を救う)という希望を示唆しているのではないかと思います。ラスト付近のウワサもまたそれなのかと。公式でいろはは怒っていると例えておりましたが、その怒りが生の原動力になってくれれば、それでも妹達(幸せ)を探すために生をまっとうしてくれればとそう願わずにはいられません。

 

 

この感想の終わりに(余談)

正直いろはの願いでもあり、その行動原理でもある妹のういが助からずあの結末を迎えるというのは驚き以外の何者でもありませんでした。黒江の時も「甘かった…!」と自分の読みを嘆いたのですが、ういと灯花、ねむに至ってもまた「うおお甘かった!」と心で叫んでおりました。こういう展開にするんだ…!と製作者に対して驚きを覚えたのは久方ぶりで。閑話休題でもお話した通り、これが数ある並行世界の中のひとつなら、あり得る可能性を描いた…とすぐに納得できたはずですが、たったひとつの世界ということで数時間以上悶々としておりました。その後公式からマギレコ世界を切り取ったコピー的なものという言及があり、ようやく少し落ち着いた次第です(いやはや…)しかし更に疑問が広がって、時空や世界線をもう少し理解しなければと自戒している所でもあります。そして今OPを振り返ると、病院組についてはほんとあの通りだということに気づきヒヤッとしています。ネタバレを冒頭やOPに仕込むというのはよくありますが、まどマギレコに関しては、叛逆の冒頭(ほむらのソウルジェムが濁っている)ゲーム版一部OPがそれかなあと考えています。(ゲーム版については実際結末は違うのでOP詐欺と言われてましたが、アニレコに絡めて考えると、あの消えてゆくういや見滝原組のシーンはしっくりきます。)まあ、それはさておき、アニレコにおいては悲しい結末を迎えた病院組ですが、その心はすでに救済されていて、そしていつかまたいろはと再会できるそう思っています。黒江の回でもお話した通り、ゲーム版では皆元気に存在していますので、そこでの彼女達の活躍を願いつつ今回の感想を締めくくりたいと思います。長々とした感想にお付き合いくださりありがとうございました。(感謝)

 

 

                                                                                                                  さんかく

 

 

余談

次回は見滝原組かみかづき荘を中心に書こうと思います…